年間第23主日(マタイ18:15-20)

年間第23主日は、相手に対して忠告するときの心構えを説いています。実は今週の朗読個所の直前には、「迷い出た羊のたとえ」が取り上げられていまして、百匹の羊のうち迷い出た一匹に接する心やさしい羊飼いのように、兄弟に忠告しなさいと促しているのだと思います。

もしかしたら、朗読を聞いた皆さんは、忠告がより厳しくなることに気を取られたかもしれません。二人だけで忠告して、聞き入れなければほかに仲間を連れて行って忠告して、それでも聞き入れなければ教会の権威に訴えて忠告してもらって、教会の言うことも聞き入れないなら、切り離すといった受け取り方です。

忠告がだんだん厳しくなって、相手を裁こうとしているのか、あらゆる形の忠告を使って、その人を教会の交わりに連れ戻そうとしているのか、用いる忠告は同じでも、忠告するときの心構えが違えば、願い求めていることは全く違ってきます。イエスが促す忠告はあくまでも、迷い出た一匹を捜しまわるためのものなのです。

ちなみに教会内部のことを調べてみました。現代の教会でも忠告が必要になった場面があったようです。一つは、教会の高位聖職者に問題行動が生じ、教皇さまが何とか教会内にとどまらせようと努力したケースがあります。しかし、教皇の個人的な説得も教会の公式な忠告も聞き入れませんでした。

もう一つ、第二バチカン公会議の方向性を拒否し、その後ヨハネ・パウロ2世教皇の説得を聞き入れなかった高位聖職者のケースがあります。どちらも、きっと個人的な忠告から始まり、公の使いを送って忠告したり、教会の公式な声明によって忠告したのです。それはじわじわと教会から追放するためではなくて、どうにかして、迷い出た状態から教会の交わりに連れ戻そうとする長い長い努力の積み重ねだったのです。

わたしたちも、忠告をしたり忠告を受けたりすることがあるでしょう。それはだれにでも起こりうることです。わたしたち人間は弱さがあって、迷い出る一匹の羊と同じで自分一人で今いる場所から戻れなくなることがあるのです。もしかしたらこの世の知恵が豊かな立場の人ほど、引き返せなくなるものかもしれません。

そんなとき、何とかして教会の交わりに戻ってほしいと動いてくれる人がいるのは幸せなことだと思います。迷い出てしまうことは不幸なことですが、迷い出ている期間が生涯のすべてではないはずです。

もしだれかが、個人的にか、二人または三人でか、あるいは教会の権威に依ってか、いずれかの方法で心から忠告して、教会の交わりに戻れるように手を差し伸べるなら、不幸な時間を乗り越えて、その人の人生全体は幸せになるのではないでしょうか。

今日わたしたちは、敬老者のためのミサをささげています。長い年月を重ねて、教会の交わりにとどまることの大切さも十分知っておられます。もし、できますなら、これからの与えられた時間の中で、迷い出た一匹の羊のような信徒をご存知でしたら、教会の力になっていただきたいと思います。

個人的に忠告して、教会の交わりに呼び戻せる人を、もし御存じでしたら、働きかけていただきたいのです。教会との絆を取り戻すのにさらに力が必要でしたら、協力者を教会役員で見つけてお手伝いしたいと思います。もし、それ以上の大きな働きが必要でしたら、教会のあらゆる権限を用いて、教会の交わりに戻れるように主任司祭も力を貸したいと思います。

今日お祝いを受けている敬老者の皆さんは、「行って二人だけのところで忠告しなさい」(18・15)というイエスの招きに、年齢も経験も最もふさわしい方々だと思います。どうか、信仰に土台を置いて生きる今だからできるイエスの協力者に名乗り出てほしいと思います。

「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(18・21)迷い出た一匹の羊を教会の交わりに連れ戻すことは、今日お祝いを受けている高齢者をはじめ、すべての信徒にできる尊い働きです。教会の交わりにすべての人が結ばれるよう、わたしたちの中におられるイエスの力に依り頼みましょう。ミサを通して、わたしたちをイエスの手足としていただけるよう願いましょう。

‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥

▼九州視覚障害者情報提供施設(略して「九視情協」)の年に一度の大会が今年は9月4日5日の2日間、北九州市で行われた。会場は全体会に470人の参加者を収容できる会場という条件があるため、今年はリーがロイヤルホテル小倉が会場に選ばれた。
▼研修は、視覚障害者の事情に精通している講師が毎年選ばれている。本人が視覚障害者であったり、長年視覚障害者のために働いている人であったりするが、大会の運営を去年体験して分かったことは、講師選びもだんだん新しい人を捜すのが難しくなっているということだった。
▼専門的な知識や経験を分かち合える人にも高齢化の波が押し寄せてきているのである。そういう中で、今回講師を引き受けてくださった方はわたしと同じくらいかなと思う年代だったので、話もとても身近に感じた。
▼この年に一回の集まりは、研修であると同時に再会を喜び合う場ともなっている。九州一円のボランティア従事者が顔を合わせるから、それはもう賑やかである。懇親会が初日の最後に組まれているが、わたしは懇親会が終わるのを楽しみにしているタイプだが、ほとんどのご婦人がたは懇親会ではじけていた。
▼懇親会は毎年その開催地の特色が出る。今年も小倉で名の通った太鼓のグループが出演していた。またわたしは馴染みがなかったが、カントリーソングのファミリーバンドも盛り上げてくれた。
▼来年は持ち回りの順番では沖縄になっている。研修以上に沖縄に行くことが目的になるかもしれない。一度だけ行ったことがあるが、あちこち思い出の再確認もよいかもしれない。

===-===-===-=== † 神に感謝 † ===-===-===-===-===