年間第21主日(マタイ16:13-20)

今週の福音は8月のこれまでの鍛錬・訓練の総仕上げみたいな朗読です。この一ヶ月間、イエス様は弟子たちを訓練するために、いろんな難しい場面に立ち会わせて、真の弟子はどう振る舞うべきかを教えてこられました。今日、その総仕上げとして、これまでの訓練の成果を弟子たちに求めます。

エス様が、訓練の実りとして求めたことは、「あなたがたは、わたしを何者だと言うのか」という一点でした。パン五つと、魚二匹しかない中で、五千人もの人々を満たしたわたしを見て、あなたがたはわたしを何者だと思ったか。嵐の中で舟をこぎ悩んでいたとき、近寄って助けたわたしを見て、どう思ったか。願うことを信じて疑わない人に、たとえその人が外国人であっても、救いの手を差し伸べたわたしを見て、あなたがたはどう思ったか。

ここでほかのことを尋ねないで、「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」とだけ聞いてきたのは、イエス様が自分たちにとって何者かをしっかり言い当てることができれば、言い表したその言葉が、じゃあこれから自分はどう振る舞ったらいいのか、そこまでちゃんと導いてくれるに違いないと考えておられたからだと思います。それはたとえて言えば、「名は体を表す」ということわざのようなもので、「太陽」という名前をもらった人が、のちのち周りの人に明るい光を届ける人になっていくのと似ていると思います。

「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」(15節)。たいていの場合、問いかけをする時、問いかける人の中にはあらかじめ答えが用意されているのではないでしょうか?先生が生徒に問題を出すとき、先生が答えを知らないはずはありません。また、ふだんの暮らしの中でも、「こういう答えが返ってきて欲しい」と、あらかじめ期待していることが多いのではないでしょうか?「○○は、要らないですよね」と尋ねるときでさえ、「ええ、要りません」という答えを期待しているわけではないのですから。

エス様は、弟子たちに問いかけるとき、あらかじめ答えを構えておられたのでしょうか?おそらく、構えていたのではないかと思います。こういう場合はペトロが答えるだろう、そういうことは考えておられなかったかも知れませんが、きっとイエス様なりに、期待はしておられたのだと思います。

代表として、ペトロが答えました。「あなたはメシア、生ける神の子です」(16節)。そしてペトロの答えは、イエス様の期待に十分そうものでした。それは、イエス様がペトロに「あなたは幸いだ」と仰ったことでよく分かります。本当によく答えてくれた。これまでの訓練から、よく学んでくれた。そういう気持ちだったのではないでしょうか。

ペトロの答えは、もしかしたら、イエス様の頭の中にある答えとは、微妙に違っていたかも知れません。けれども、学校の勉強で言えば、イエス様の出した問題は国語の問題で、数学の問題ではなかったと思います。つまり、きちっと答えが合わないとダメ、○か×かという質問ではなくて、「あなたの考えを書いてみなさい」という形の質問だったと思うんです。もしも、数学みたいな質問だったのなら、私たちに正解を答えられるはずはありません。ミサの第二朗読、ローマの信徒への手紙にあるように、「いったいだれが主の心を知っていたであろうか。・・だれがまず主に与えて、その報いを受けるであろうか」ということです。イエス様のお心の中にある答えをそのまま言うことなんて、できっこありません。

でも、ペトロの答えにイエス様は満足だったのです。「あなたはメシアです」と答えたのですから、その答えに見合う振る舞いを心がけるはずです。「あなたは生ける神の子です」と答えたのですから、これからはイエス様を礼拝し、イエス様の歩まれる道に自分をまったく合わせていくに違いないからです。

私たちはどうでしょうか?今月、イエス様の訓練を通して、私はイエス様にどのような返事をするのでしょうか?イエス様からは、安心して信頼を寄せるだけの材料を示してくださいました。「あなたがたは、わたしを何者だと言うのか」。イエス様の問いかけに、あなたの言葉で答えてちょうだいと、期待しておられます。わたしは、何と答えるのでしょうか?

ちなみに私はこう答えるでしょう。「私は、あなたが秘跡を通してキリスト信者を励まし、心と体の健康を回復してくださる様子を目の前で何度も見てきました。だから、あなたは間違いなく神様です」と。そして、自分の答えに恥じないように、精一杯生きていきたいとも願っています。

8月、イエス様は弟子たちと私たちを鍛えてくださいました。この鍛錬を通してつかんだ答えを、イエス様に申し述べてみましょう。そしてお一人おひとりが出した答えにふさわしい生き方ができるよう、ミサの中で力を願ってまいりましょう。

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ちょっとひとやすみ
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