待降節第1主日(ルカ21:25-28,34-36)

車を運転していて、信号機が赤になった時、運転なさるみなさんはどう感じるでしょうか。「ちょうどのときに赤になって、なんて運が悪いんだろう。早く変わらないかなぁ」と思うでしょうか。

わたしは、どちらかというと、「赤になった。ということは、もうすぐ青になる」と考えます。つまり、望んでいることと反対のことが起こった時、「望んでいる状況になるのはもうすぐだ」と考えるのです。

ずっと前からこのように考えていたわけではありません。以前は、信号が目の前で赤に変わった時に、「なんてついてないんだろう」と本気で思っていました。ところが、2つの事情で考えが変わったのです。

1つは交通事故です。交差点の信号が黄色から赤に変わり、わたしが停止線で車を止めた瞬間、「ガチャン」という音がしました。対向車線の車と、交差する道路から出て来た二輪車が、出会い頭にぶつかったのです。

もし対向車線の車が停車し、わたしが無理をして交差点に入っていたら、交差する道路を走っていた二輪車は、当然わたしと接触し、事故を起こしていたでしょう。他人事ではない事故でした。わたしは事故の当事者たちを横目に見ながら、その場を去りました。

もう1つは、考え方一つで見え方は違うということをある時教えてもらったからです。その当時、わたしはとても攻撃的で、だれかが傷つくまで意見することがしばしばありました。いろんなことに、攻撃的でした。

ところが、そうした場面に当時の自分と違った考え方でとらえる目を持ってる人と出会いまして、その人の考えに耳を傾けているうちに、あー、違う見方もありなんだなぁと考えられるようになったのです。今は、考え方一つでずいぶん見え方は違うのだということが分かりました。

教会の季節は、待降節に入りました。待降節は、救い主イエス・キリストの降誕を待ち望む季節です。待降節の始まりにあたり、この季節をどのように過ごせばよいのか、考えてみたいと思います。

最初にちょっと触れたことに関連しますが、待降節は「待つ季節」です。これをどうとらえるか、という問題が当然起こります。積極的に待つのか、「待たされている」という消極的な見方をするのかです。「待たされている」と感じるなら、どうしてこんなに長い待ち時間があるのかとイライラし、この待降節を早く終わりたいとしか考えないでしょう。

むしろわたしたちは、待降節のあいだ積極的に救い主を待つべきです。与えられた福音朗読に、次のような言葉があります。「このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。」(21・28)

救い主が来るその時が近づいています。待降節は、救い主の降誕が近いことを知らせている季節なのです。そうであるなら、今は救い主をお迎えする準備を着実に進めるべきです。待つ季節なんて面倒くさい、ではなく、待つことで確実に救い主をお迎えすることができるのです。もっと言うと、待つ人でなければ救い主をふさわしくお迎えすることはできないのです。

もし手元に聖書と典礼、あるいは新約聖書があるなら、本日の福音朗読箇所を開いてみてください。物語の中に、「人々」と「あなたがた」という言葉があることに気がつくと思います。

ここでの「人々」と「あなたがた」は、使い分けられています。「人々」は、人の子が来ることにより恐れ、おびえ、不安に駆られます。「人々」で示されるグループは救い主イエス・キリストの到来の時にその場にいても、前もって準備のなかったグループです。

これに対して、「あなたがた」というのはイエス・キリストの到来を、「解放の時」「喜びの日」として迎えることができます。「解放の時が近い」と感じ、「いつも目を覚まして祈り」、その時を準備して待っていたからです。

わたしたちに、待降節の期間求められている態度がどちらであるかは明らかです。わたしたちも、目を覚まして祈り、イエスの降誕を迎える準備をしなければなりません。教会によっては、クリスマスのための聖歌の練習を積む教会もあります。

貯金箱を作って、御子イエスさまにおささげする献金を用意する習慣のある教会もあります。貯金箱には、準備した人の犠牲の心、生活に困っている国内外の多くの人が少しでもイエスの誕生を安心して迎えられるようにとの思いやりの心が表現されています。

こうして、待つことで救い主が来ると強く感じられるようになることが、待降節の大事な意味合いだと思います。伝統的な習慣が特にない教会でも、一人ひとりが、心の準備をして降誕の日を待ちましょう。何かを犠牲する心、忍耐や柔和の心、愛する心を高めながら、わたしたちにとっての最高のプレゼントである主イエス・キリストを待つことにしましょう。

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ちょっとひとやすみ
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▼11月25日午後2時、88歳の先輩教区司祭が亡くなった。3ヶ月の闘病生活、直前まで老人ホームにいて、ミサをささげて入所者の信仰生活に奉仕しての旅立ちだった。寝たきりになることもなく、無気力になることもなく、本当に立派な司祭生活だったと思う。
▼日曜日午後に知らせが入ったので、月曜日の巡回教会のミサではミサに参加している信徒と修道者にお知らせを入れて、その日の説教ではわたしにとっての先輩の思い出話をしてあげよう。そんなことを思い描いていた。その晩は少し床に就くのが遅かったかも知れない。
▼見知らぬ医者がわたしに選択を迫った。「いずれにしてもおたくは亡くなりますが、手術をしますか、それとも痛みだけを取って残りの時間を過ごしますか」と言う。「そんなこと急に言われても、決められるか!」と怒ったが、すぐに「待てよ。これは夢だ」飛び起きて目覚まし時計を見ると5時45分になっているではないか。
▼巡回教会まで15分。完全に遅刻である。肩身の狭い思いで香部屋に行き、ミサを始めるにあたり、先輩司祭が亡くなり、通夜と葬儀がこれこれの時間に決まったとお知らせしてミサに入った。福音朗読は、「やもめの献金」だった。
▼そこでわたしは、「わたしの知る限り、亡くなった先輩司祭は、ミサの30分前に香部屋に来て待っておられた。それに比べわたしは、5時45分に布団を飛び起きて、顔も洗わずミサをしている。先輩はミサをささげるためにいわば生活費のすべてをささげて備えていた。あまりに違いすぎて恥ずかしいが、見倣いたい」
▼火曜日、浦上教会で葬儀ミサがささげられた。説教師はわたしが福岡の大神学院時代の神学院院長で、哲学神学の教授だった司祭である。どんな説教をするのだろうかと固唾を呑んで見守っていたら、わざわざ「やもめの献金」を朗読に選び、「先輩司祭は、自らをすべて、司祭職のためにささげた。有り余る中からではなく、持っている物をすべて、生活のすべてをおささげした。まさに、今日選んだ朗読に登場するやもめの生き方だった。」と説教したのである。
▼わたしは、「それ見たことか」と内心思った。「やもめの献金」を選んで説教すると、だれが想像しただろうか。けれどもわたしは、同じテーマで説教をしたのである。レベルは天と地ほどの開きがあるが、本当に嬉しかった。もちろん、調子に乗ってはいけないが。

===-===-===-=== † 神に感謝 † ===-===-===-===-===