年間第17主日(ヨハネ6:1-15)

夏休み期間中、説教はなるべく堅信組の中学生に聞いてもらいたいので、堅信組の心構えと少し結びつけながら話しをしていきたいと思います。そして説教は必ずホームページやブログにも載せていますので、仮にミサに参加していなくても、「こうじ神父」という文字で検索をすれば、インターネットでわたしのブログやホームページが見つかりますから、そこで説教をチェックして夏休み期間中の補いとしてください。

今週の福音朗読は、「五千人に食べ物を与える」という奇跡物語です。この奇跡物語は、聖体の秘跡を考えるのにもってこいの話です。イエスは数え切れないほどの群衆を前にして弟子のフィリポに、「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」(6・5)と質問しました。

ここでイエスは、集まっている群衆はみんな食べ物が必要な人だと考えています。食べ物が必要な人、別に必要でない人、いろんな人がいるのではなくて、集まっているすべての人が、食べ物が必要なんだとフィリポに考えさせているのです。それは、大震災に遭った東日本の人たちとか、大雨で被害を受けた福岡熊本大分の人々のような状態です。

質問されたフィリポも、集まっているすべての人が食べ物を必要としていることを理解しました。けれども、買いに行ったのではまったく足りないことも感じています。「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」(6・7)。

そこでイエスは、この数えることもできないような大群衆を食べさせるただ一つの方法は、ご自分が食べ物を与えることだと教えます。言葉ではなく態度で、「大麦のパン五つと魚二匹」(6・9)から、集まっているすべての人に食べさせることができるのはイエスただ一人なのだということを教えようとされました。

同じことは、今この時代にも当てはまります。日曜日の礼拝のために、わたしたちはここに集まりました。五人とか、十人ではありません。何十人も、あるいは百人以上の人が、ここに集まっています。そして集まったすべての人が、食べ物が必要なのです。

この集まったすべての人に食べさせることができるのはいったい誰でしょうか。主任司祭でしょうか。そうではなく、ここでもイエスが、ご聖体となってわたしたち全員の食べ物となってくださるのです。イエスがわずか五つのパンを取り、感謝の祈りを唱えてくださることで、わたしたち皆に、食べ物を用意してくださるのです。

一つ、ここで触れていないことがあります。それは弟子たちの働きです。イエスが数え切れないほどの群衆の食べ物を用意してくださるのですが、食べ物が群衆に確実に行き渡るためには、弟子たちの働きが必要になります。人々は草の生えた原っぱに座らせたままです。食べ物は弟子たちによって運ばれる必要があるのです。

わたしはここに、堅信組の中学生の働きが示されていると思います。堅信を受けている人、これから堅信を受けようとしている人は、今週の福音朗読「五千人に食べ物を与える」奇跡物語で、イエスだけが、数え切れないような人に十分な食べ物を与えてくださることを知りました。

学んだことは、実は学んで終わりではなくて、知らせに行く必要があります。数え切れないほどの人が、みんな食べ物を必要としています。それぞれが買いに行って食べる食べ物ではなく、買いに行っても手に入らない、永遠の命を養う食べ物が必要なのです。

人々はイエスが座らせて食べ物を待っています。それを届けるのは弟子たちです。イエスが食べ物を与えてくれる方だと学んだ人が、イエスが与える食べ物を配る必要があります。堅信組の中学生が、永遠の命の食べ物は、イエスさまが与えてくださると、数え切れないほどの群衆に知らせに行く。中学生が今の時代にもこの教えを届けに行くことが、期待されていると思います。

永遠の命を養う食べ物はこれです。ここに集まれば、永遠の命の食べ物にたどり着きますと、堅信組の中学生が知らせに行くことを、イエスは今期待しているのだと思います。

パンは無駄にならないように集められました。そして集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、なお残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになりました。この集められたパンは、今日この時間に集まることができなかった人々に届けるためのものです。健康がすぐれなくて自宅にじっとしている人、病院に入院している人、いろんな理由にがんじがらめになって日曜日に教会に集まれなかった人のためにあります。

弟子である堅信組の中学生が、残ったパンがまだありますと、どれだけたくさんの人がイエスに食べ物を求めても、イエスはご聖体の秘跡となって、永遠の命を養う食べ物をくださいますと、知らせて回る必要があります。これは、堅信組の中学生にもできる働きです。

今週イエスさまは、五千人に食べ物を与える奇跡の物語で、ご自分が数え切れないほどの群衆に永遠の命を養う食べ物を与えるかたであることを教えられました。堅信組の中学生は、イエスがご聖体の秘跡となって、すべての人の永遠の命を養うことを知らせに行く必要があります。永遠の命を養う食べ物がここにありますと、知らせに行くことをイエスさまは期待しています。

聖霊の賜物に強められて、堅信組の中学生がイエスの弟子としてすべての人にご聖体が行き渡るように働くことができますように。ご聖体の秘跡を受けた堅信組の中学生が、残ったパンを必要としている人にも働きかけに行くことができますように。このミサのなかで恵みを願いましょう。

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ちょっとひとやすみ
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▼たぶん何か書く予定があったのだと思うが、忘れてしまった。この次からは書くべきネタが思い付いたら、すぐメモを取るようにして、活用できるようにしようと思う。瞬間瞬間で、書きたいことが変わってくるし、書こうと思ったことよりも重いことが直前に発生するかもしれないから、柔軟に対応するためにはメモを取る。これしかない。
▼後輩の司祭が脳出血で手術を受けた。高度な手術は離島では受けられないのか知らないが、ヘリコプターで大村市に搬送されたそうだ。大村市には国立病院があるし、設備も離島より整っているのだろう。脳出血が人間の病気やケガのなかでどの程度重いものなのか分からないが、二三日ではとても帰って来られないことは確かだ。
▼病気にかかったことは確かに残念だし心配だ。ただ、「そういうこともあるだろうよ」と思われるとしたらどうだろうか。外見や、行動から推測して、「あの様子では、その病気にかかっても不思議ではない」と思われているとしたら、それは本人の責任も出てくるのではないだろうか。
▼後輩の入院と緊急手術で、該当する小教区はだれか他の司祭がカバーしなければならなくなる。当然協力はするが、「そもそもこうなった原因があるのではないか」という思いが頭の隅にあれば、負担の感じ方も違ってくる。はっきり言えば、それは本来回ってくるはずの負担ではないでしょうと思いたくなる。
▼もちろん今はいろいろ言ってはいられない。困っている小教区の人たちは、牧者のいない羊だ。今こそ手を差し伸べる時だ。8月5日には小学生のドッヂボール大会も控えている。11月11日には堅信式もある。それまで中学生の準備も必要だ。小教区の諸活動もあるに違いない。手分けして、分担してあげよう。
▼「お互いさま」「明日はわが身」そういう面もある。だから、せめてできる努力はして、「なぜあれだけ努力していたのに病気したのだろうか」と、その程度の自己管理は欠かさないようにしよう。利用できる検診は積極的に活用しよう。せめて牧者として任されている羊を置き去りにしないために、心を砕こう。

===-===-===-=== † 神に感謝 † ===-===-===-===-===