神の母聖マリア(ルカ2:16-21)

神の母聖マリアの前晩のミサに参加している人は、今年1年本当にお世話になりました。また、来年もよろしくお願いいたします。当日のミサに参加しているみなさん、新年明けましておめでとうございます。今年も、よろしくお願いいたします。

年賀状は、こうして目の前であいさつできる方には原則出しておりません。ご理解賜りたいと思います。2012年、平成24年の信仰の歩みを、神の母聖マリアの姿に倣って1歩ずつ進めて行きたいと思います。

皆さんにとって、年の初めの行事は何でしょうか。長崎教区の司祭にとって、新年早々の行事と言えば、1月最終火曜日の司祭団マラソン大会です。昨年1月のマラソン大会にわたしは12年ぶりに参加しまして、10キロのコースで1時間を切ることもできず、自分としてはみじめな思いでレースを終えました。

ラソン大会終了後の懇親会でそれぞれの成績が発表され、感想を一言述べるように求められました。わたしは、自分のふがいない記録に腹が立っていましたので、腹立ちまぎれにこう言ったのです。「来年はもっと準備して、1時間を切ることができるよう仕上げて来ます。だから、今回1時間前後だった先輩後輩の神父さま方は、来年はわたしのケツを拝みながら走ることになるでしょう。」

大口をたたいてしまいました。結果を出すため、昨年12月から努めて走ってきました。おかげで10月頃に80キロあった体重は現在73キロになり、体の切れが戻れば、10キロを1時間切るタイムで完走できると感じています。気合が入っています。

前回1時間6分かかったのを、6分以上縮めると公言したわけですが、実現できなかったら笑い物になります。言葉は、どんな時でも責任を伴います。その言葉が実現する言葉なのか、実現しない言葉なのか。言葉が実現した時、その人は信頼される人になります。

1月1日、神の母聖マリアの祭日にわたしたちに与えられている福音朗読は、羊飼いが幼子を探し当て、その光景を、人々に知らせる場面です。羊飼いたちは、先に飼い葉桶に寝かされている乳飲み子について天使から告げられていました。

天使に告げられた出来事は、すでに実現していました。それは羊飼いが確認しなくても、必ず実現する言葉です。なぜなら告げられた言葉は天使の言葉ではなく、天使が神から託された言葉だからです。神の言葉は、必ず実現するのです。

羊飼いたちは、急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てました。ところで羊飼いたちは、天使から何を期待されていたのでしょうか。飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てることでしょうか。羊飼いにとって、飼い葉桶に寝かされている乳飲み子を探し当てることはたやすいことだったでしょう。彼ら自身羊を飼っていました。だいたいどんな場所に動物を休ませるか、羊飼いは熟知していたはずです。

天使は、もっと大きな使命を羊飼いに期待したのではないでしょうか。羊飼いたちがマリアとヨセフ、飼い葉桶に寝かされてある乳飲み子を探し当てたあと、自分たちが目にした出来事は、「天使を通して神から告げられた言葉」「必ず出来事となって実現する言葉」だと人々に告げ知らせること。これが、天使が羊飼いに期待したことではないでしょうか。

「わたしは、出来事となって必ず実現する言葉を確かめて来た。」この通りに羊飼いは話したわけではないでしょうが、人々に知らせたのは同じ意味の言葉だったと思います。ただ単に、乳飲み子が飼い葉おけに寝かされていたよと話したわけではありません。天使が出来事を告げ、それを聞いた羊飼いたちがその目で確かめ、「神の言葉は、出来事となって必ず実現する」と、理解したのです。

話を聞いた人々は、羊飼いたちの話を不思議に思ったとあります。これは、理解できずに戸惑ったということです。理解できなかったのです。ただの赤ん坊の誕生と変わらないと、それ以上の意味を探ることができなかったのです。

ところがマリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていました。マリアは天使に告げられた言葉と、生まれた乳飲み子とはつながっていると感じたのです。マリアが産んだ乳飲み子は、「必ず出来事となって実現する言葉」なのだと、感じ取っていたのではないでしょうか。

この神の母となったマリアの姿、羊飼いの行動が、わたしたちの今年1年のあるべき姿だと思います。「神の言葉は、出来事となって必ず実現する。」わたしたちに与えられた救い主は、必ず出来事となって実現する神の言葉なのだと、思い巡らし、人々に知らせること。これが、わたしたちが毎年新たに掲げる1年の抱負だと思います。

では具体的に、どんな神の言葉を思い巡らし、人々に知らせればよいのでしょうか。アヴェ・マリアの祈りと、ミサの奉献文から、例を挙げましょう。アヴェ・マリアの祈りの中で、「主はあなたとともにおられます」という天使の言葉が含まれています。

わたしたちが、「神の言葉は出来事となって必ず実現する」と信じて今年歩き始めるなら、必要な時、必ず神はわたしたちのそばにいてくださるでしょう。あなたの暮らしの中で出来事となって、必ず実現するでしょう。

ミサの奉献文の中では、「これは、あなたがたのために渡される、わたしのからだである。」という聖別の言葉があります。わたしたちが、「この言葉は出来事となって必ず実現する」と信じて1年を始めるなら、わたしのからだ、わたしの血となってくださった神の言葉が、わたしたちを生かしておられると、生活の中で実感できる場面が与えられます。

ぜひ、神の母マリアの姿と、羊飼いの行動を、この1年の大きな目標として据えましょう。わたしたちが神に感謝できる体験を積む時、「神の言葉はやはり、出来事となって必ず実現する」と思い出せますように。神の母聖マリアの取り次ぎを、ミサの中で祈り求めましょう。

‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥

▼ご降誕を迎えた。一人一人、どこでこの日を迎えたのだろうか。もちろん健康で体調も問題なく夜半のミサ、日中のミサに参加した人もいるだろう。ほかに、わたしが知っている範囲でも、さまざまな事情でミサに参加できなかった人がいる。
▼体調を崩して自宅で迎えている人。12月中に病院に緊急搬送され、今も集中治療室にいる人。家族に病気の重大さが知らされ、見た目は安静にしていながらも、命の危険と向き合っている人。日頃養護老人ホームに入所していて、ミサに参加したくてもずっと参加できないまま今日を迎えた人。
▼幼子イエスが、そうした一人一人を知らないはずがない。イエスご自身、宿屋にお産の場所が見つからず、ふさわしくこの日を迎えたかったけれども迎えることができなかったのだから。同じ残念な状況に置かれている一人一人を、知らないはずがない。
▼そこで、クリスマスに本当にクリスマスプレゼントを必要としている人に、プレゼントを用意しようと考えた。すべての人に届けることができないのは残念だが、少なくとも、何人かには届けることができるだろう。それは、24日の「主の降誕・夜半のミサ」を収録して、mp3で利用できるようにするというものだ。
▼つねづね、説教の部分だけはホームページにもアップしていたし、メルマガのリンクからもたどれるし、ケータイでダウンロードできるようになっている。それを、今回は拡大して、ミサの全体(説教前・説教・説教後の3分割)をお届けしようと思っている。
▼もしかしたら、いつも、ミサの全体をネット上にアップした方がよいのかもしれないと今ふと思ったが、それは利用者の皆さんの反応を見て考えたい。反響が大きければ継続したいし、反響がなければ、復活徹夜祭とか、たまに実施してみる程度になると思う。
▼病院にご主人が入院した奥さんから、「毎日ミサに通っていた主人がミサに行けなくなっていたので、日曜日のミサの収録をこの前いただいて本当に感謝しています。カセットテープが擦り切れるほど、何回も聞き直しています。」と言ってくださった。こういう声は、準備した苦労をすべて忘れさせるものだ。

===-===-===-=== † 神に感謝 † ===-===-===-===-===