神のいつくしみの主日(ヨハネ20:19-31)

復活節第2主日が故ヨハネ・パウロ2世の意向で「神のいつくしみの主日」と呼ばれるようになったのも、ずいぶん馴染んできたと感じています。今年は、福音朗読からは逸れてしまいますが、まず急死したヨゼフ松永正勝神父さまのことを追悼して、最後に福音に戻りたいと思います。

わたしは松永神父さまに借りがありました。1999年に故島本大司教さまがイスラエル聖地に青年たちを30人連れて行く第1回巡礼が実施されました。各地区から青年が選ばれ、地区の司祭も青年に同行することになり、わたしは佐世保地区の同行司祭として巡礼に参加しました。

当時わたしは太田尾小教区だったのですが、日曜日をまたいでの巡礼だったので、どうしても日曜日のミサを誰かにお願いしなければなりませんでした。それで、対岸の出津小教区の助任司祭だった松永神父さまに、よろしく頼むと、お願いして出発したのです。

ミサの借りは、ミサでしか返すことはできないと思っています。けれども、わたしが松永神父さまの代わりにミサのお手伝いに行くことはとうとうかないませんでした。その代わりに、松永神父さまの通夜のあと、司祭たちが徹夜でミサをささげる中で、夜中の3時半からの時間を申し込み、松永神父さまのために通夜の会場である浦上教会信徒会館で、ご遺体のそばでミサをささげました。

わたしにとって、その時のミサは借りを返すためのミサでした。けれども、こんな形で借りを返すのはつらいと感じました。こんな形で、借りは返したくなかった。そう思いました。

彼は、御復活の日曜日を終えて、月曜日に亡くなりました。年間の典礼行事の頂点である聖週間、その中の聖なる三日間という大きな務めを果たしてから眠りについたこと、それは、せめてもの慰めになります。ここに、神のいつくしみを見ることもできると思います。

ただ、どうしても飲み込めない思いがあるのです。なぜ、40歳にもならない松永神父さまを神さまはみもとに召されたのだろうか。通夜の会場で、とても亡くなったとは思えない彼の姿を見て、納得できないわけです。息をひそめているだけじゃないのだろうか。間違いじゃないだろうか。考えても考えても、納得できるだけの材料は見つかりませんでした。

通夜が終わったのが夜8時で、夜中3時半のミサまで時間がありましたので、何か彼のために話してあげようと考えました。彼は何を残してくれたのだろうか。彼は司祭職のどんな面を、わたしたちに教えてくれるだろうか。あれこれ考えて、布団をかぶったものの、眠れませんでした。

しばらく考えているうちに、先週の説教のことを思い出したのです。先週わたしは、たまたま自分が出席した聖骸布の展示会と講演会に触れました。聖骸布とは、イエスの姿を写し取った布だと言われているわけですが、わたしはそこで思い付いたのです。司祭は、ある意味で、聖骸布なのではないかと。

叙階の秘跡で確かに司祭となった方々は、イエス・キリストを写し取っているのではないでしょうか。もちろん完全に写し取っているとは言えません。完全に写し取っているなら、その人はイエス・キリストですが、そういうことではありません。不完全ながらも、イエス・キリストを写し取っている。そう考えると、司祭は聖骸布であると言ってもよいと思うのです。

司祭は欠点があり、理解が不足している部分があり、過ちも犯します。ですからイエス・キリストを写し取っているとは言っても、それは一部分かもしれません。それでも、イエス・キリストにしかできないわざ、パンとぶどう酒をイエス・キリストの御体と御血に変化させることとか、罪をゆるすこととか、他のだれにもできない部分を写し取っています。棺の中に横たえられている松永神父さまを見て、彼は、イエス・キリストを写し取った聖骸布なんだと、確信しました。

だから、司祭としての年数がたとえ短かったとしても、イエス・キリストを写し取ったことに変わりはない。横たわっているその姿から、時間で測れない素晴らしい部分を持っていることを、あらためて教えられました。

神さまは、わたしたちには分からない計画の中で、松永神父さまを呼び戻しましたが、聖なる三日間を無事に果たさせてくださったこと、司祭はその存在が聖骸布のようなものだということ、この2つはわたしたちに模範として残してくださいました。それは、神のいつくしみの成せる業だったと思います。

最後に、福音朗読の中から、一つの点を示して結びたいと思います。イエスは、弟子たちが戸に鍵をかけて家に閉じこもっているとき、現れてくださいました。さらに、最初はトマスがいなかったので、あらためてトマスも一緒にいるときに、やはり戸に鍵をかけている家の中に現れてくださいました。

どのように現れたかに注意しましょう。弟子たちの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われたのでした。弟子たちはほかのすべての人を恐れ、心の面で外部と一切関係を断ち切っていたわけです。心の中心を失い、何も頼るものがない状態になっていました。

そこへ、イエスが来て真ん中に立ったのです。中心を失い、閉じこもっていた弟子たちに、「わたしが、あなたがたの中心にいるよ」と、態度で示してくださった。これは、神のいつくしみを示す一つの態度ではないでしょうか。

わたしたちにも、同じ呼びかけをイエスはしていると思います。長崎教区司祭も、本当に若い司祭を失って、神さまの計画はどこにあるのだろうかと、肩を落としてしまいます。そんなとき、イエスはわたしたちの真ん中に立って、「あなたたちの中心は、わたしだ。心配しないで」と、声をかけてくださるのです。

神のいつくしみは決してわたしたちから離れない。どんなにつらいことがあっても、神はわたしたちを見捨てたりしない。もう一度信頼の心を呼び起こして、歩みを進めたいと思いました。

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ちょっとひとやすみ
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▼亡くなった松永神父は3人が同期で叙階した中の1人だった。だから1人が通夜の説教をして、1人が葬儀ミサの説教を受け持った。どちらも、泣きたい気持ちを必死にこらえて、精いっぱい努めを果たしてくれた。30代らしいなぁとは思ったが、心を打つ説教だった。
▼自分も、同期は3人である。同級生で、後で叙階した司祭がいて、どちらで考えても3人である。だれかが先に死ぬ。その時、彼について自分は何が話せるだろうかと、真剣に考えたし、自分が先に死んだら、自分のことを彼らはどう話すのだろうかと考えた。
▼お互いに、本当に何かを分かりあっているだろうかという不安がよぎる。同期だから、同級生だからと、ことさら意識していないものだから、いざという時のことを考えさせられた。あらためて亡くなった司祭と、その同期生たちが深いきずなで結ばれていたのだと、感心させられた。
▼ふだんは結構時間を当てにして生きている。あと20年とか、30年は働けるものだとたかをくくっている。もしかしたら、そんなに時間はないのかもしれない。命にかかわる病を得るかもしれないし、突然の災難に巻き込まれるかもしれない。それなのに、どうしてふだんの生活は真剣さが足りないのだろう。
▼無駄なことをたくさんしているし、お金の無駄遣いもするし、だれかが触ったらびっくりするようなものさえ机の上には積み上がっている。おまけにみすみすチャンスを逃すことだってある。こんな体たらくで、悔いのない人生を送れるのだろうか。最後に、後ろを振り返らずに旅立つことができるのだろうか。
▼復活節は、イエスが死んで、復活したことを過ごす季節である。わたしたちは、イエスに倣って何かに死んで、新しい人になっているのだろうか。

===-===-===-=== † 神に感謝 † ===-===-===-===-===