年間第18主日(マタイ14:13-21)

今日の福音は、イエスが行ったパンの奇跡についてです。この福音を書いたマタイは、パンの奇跡を二回書き残しましたが、今日読まれたのは、その最初の分です。マタイはここで、イエスのどんな心を描こうとしたのでしょうか。

はじめに、イエスと弟子たちのあいだで繰り返し使われた言葉に注意を向けましょう。同じ場所に立っているのに、両方の話ぶりで場所の風景がすっかり変わってしまうことが分かります。

「ここは人里離れた所です」。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません」。弟子たちは、自分たちが立っている場所、置かれている立場に、ほとんど期待していません。全く望みがないとさえ思っているでしょう。ところがイエスは、大きな希望を保ち続けています。「それをここに持って来なさい」。弟子たちが見落としている何かを、そこにいるすべての人に思い出させようとしているのです。

弟子たちにとっても、イエスにとっても、集まっている群衆にお世話したいという気持ちには変わりがありません。ただ違うのは、ここではお世話ができないと考えるのか、ここで十分にお世話ができると考えるか、それだけです。

どこから、違いが出てくるのでしょうか。それは、「ここにイエスがいる」とはっきり意識するか、意識しないか、その差だと思います。意識して「イエスがいる」と思っている人は、それだけで力づけられます。希望のないように見えた場所が、イエスがいることですっかり変えられます。見た目には何もない場所なのに、すべての人が「食べて満腹する」場所に変わるのです。マタイはこのことを、最初のパンの奇跡で描こうとしているわけです。

実際、どんなに考えても、目の前にいる大勢の人に食べ物を用意することなどできるはずがありません。誰でも、できるかできないかぐらいは分かるものです。それなのに、「あなたがたが、彼らに食べる物を与えなさい」と言われたときは、「そりゃぁないよ」と思ったことでしょう。

「自分たちには、絶対にできない」。ここからイエスの働きが始まります。人間の力ではどうすることもできないと思うところに、イエスの力が働くのです。何の足しにもならないと思う分量や、人数や、与えられた時間を、イエスは考えられないくらい大きな恵みで満たしてくださるのです。

自分たちには絶対できないけれども、同じ信仰を持った先祖たちが、その絶対できないことを成し遂げました。日本の殉教者たちです。その中で188人は、今年の11月23日に福者に選ばれます。この188殉教者の中で、子どもたちの殉教はとても考えさせられます。子どもたちの殉教の中で、例として有馬の殉教者ディエゴ林田のことを取り上げたいと思います。彼は殉教したとき12歳の少年でした。

ディエゴ林田少年は、12歳ですでに教会の子どもたちに要理を教える先生を務め、子どもたちだけで活動する「マルチレスの組(殉教の組)」のリーダーになっていました。有馬では禁教令が出されるとすぐに、有馬直純(なおずみ)によって迫害が始まりました。有馬のキリシタンの中から選ばれた人々が、有馬川の中州で火あぶりにされることになります。

ここで大人たちは自分たちの足で中州に用意された刑場まで歩いていったのですが、役人は子どもに過ぎないと思ったディエゴ林田を背負って刑場に運ぼうとしました。ところが少年は自分の足で歩くことを申し出たのです。「イエスさまは、十字架を担ぎ、カルワリオ山へ歩いていきました。わたしも歩かせてください」。

縄で縛られたキリシタンたちは炎の中で次々に息絶えていきましたが、ディエゴ林田の縄は焼け落ちてしまい、少年は同じく火あぶりにされている母の元へ駆け寄り、母と一緒に息を引きとりました。ディエゴの姉で19歳のマグダレナも、縄が焼き切れたとき、足もとの燃えるまきをつかむと、頭上にかざしてすべてを神にささげて殉教しました。

人間の力が絶対及ばないところまで来ると、そこで神の力が大いに働くのだと思います。人間の力で殉教しようと考えても不可能だと思いますが、これ以上無理だと考えるその時から、神が人間という5つのパンと2匹の魚に過ぎないものを使って、あっと驚く業を成し遂げるのです。

私の中には、たいした力も信仰体験もないかも知れません。けれども、私の中にイエスがおられることは忘れてはいけません。殉教者が教えてくれているのは、「イエスが一緒にいてくださるなら、わたしのような小さな者でも使い物になる」ということだと思います。

「わたしなんかでは何の足しにもならない」。そう考えている人がいるかも知れません。けれども、イエスが手にとって大きな事をなさったのは、そのどうしようもないほど小さなものだったのです。私は小さいかも知れません。けれども、私を使ってくださる神は、小さなものから驚くほど大きな事を成し遂げる方です。この神の力に、あらためて信頼を寄せたいと思います。

もう一度、私の身の回りを見直すことにしましょう。今まさに、あなたを使って働こうとしているイエスに対して、私たちは知らず知らずのうちに、「わたしにはできません」とか「わたしは期待しているようなお役には立てません」と失礼なことを言っていないでしょうか。

それは、「イエスでもわたしは使い物になりません」と言っているようなものです。何と失礼な言い方でしょう。イエスが業を成し遂げることを忘れるとき私たちは無力ですが、イエスがきっと成し遂げてくださると確信するとき、ちっぽけな私たちでも限りなく生かされるのです。

最後に、イエスが弟子たちにパンを配らせている姿を思い起こしましょう。イエスは、ご自分が与えようとするものを、弟子たちを通してお与えになりました。それは今でも続いています。イエス現代社会の中で、教会を通してご自分の与えようとするものを人々に分かち合うのです。イエスが何倍にも豊かにしてくれたものを、私たちが配ります。イエスが豊かにしてくれても、私には配る力はありませんと、誰が言えるでしょうか。

人に惜しまず与え、働きに協力し、それでも十分におつりがくる。そんな活力のある私にイエスは変えることができます。豊かにしてもらう元手に私もなりうるのだと信じる。そのための力を、ミサの中で祈ってまいりましょう。

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ちょっとひとやすみ
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▼さっそくCDの依頼を受けた。切手を送ってくださった方もいらっしゃったが、200回以上の読者が声を上げてくださった。意外と言っては失礼かも知れないが、いるんだなぁと感心した。さらに脱帽したのは、創刊当初から欠かさず読んでくださっている人がいたということ。
▼「全部読み続けているのは私一人です(笑)」と、いささか自虐気味に書いたのだったが、その方は「神父様、ことに寄ったら貴方お一人ではないかもしれません」と声をかけてくださいました。それはもう脱帽の域です。発行人すら記憶していない詳細なメルマガからの出会いの喜びを伝えてくださいました。感謝申し上げます。
▼もしかしたら、私は高所恐怖症が解消したかも知れません。そこまでしか言うことはできませんが、谷底が170メートル以上の高所を歩いてみて、何ともないような気がしてきました。解消してなかったらごめんなさい。
▼ここからは、先週見た夢にお付き合いください。あまりにリアルで、途中で夢じゃないかと疑う要素が見あたりませんでした。よく作り込まれていて、おもしろかったのでご報告します。正夢になる日が来るやも知れませんので、その時は笑ってください。
▼転勤した夢でした。任地も明確に意識していました(ここでは伏せておきます)。下見に行こうと思って、その教会を訪ね、たまたまその日のミサをしようと思い、そこにいたシスターに「今からミサをしたいんだけど、いいかな」と声をかけました。
▼すると、その若いシスターは「勝手にすれば」とつれない返事です。「いいのかな、そんな返事の仕方して」と私が言うと「主任神父でもあるまいし」と言い返されました。「あ、そう。覚えときましょう」と言って祭壇の準備をし、ミサを始めました。何事もなく進んでいたミサでしたが、「主の祈り」(交わりの祭儀)の部分になって、突然式文が思い出せなくなり、どうしてもミサを進めることができません。
▼あちこち本を開くけれども見つからない。しだいに自分がどこを唱えていいかも分からなくなっていると、小さい子供が祭壇に上がってきて、「ご聖体まだ?」と言っています。まもなく年配のシスターが子供に近づき、「あのね、神父様はミサの途中が分からなくなってしまったから、もう少し待とうね」と子供に言い聞かせる始末。目の前でそう言われている私は絶句し、金縛り状態になりました。
▼さらに、中央玄関当たりでは、別の司祭がミサを始めました。どうやら当地の主任司祭なのでしょう。「・・・聖霊の交わりが皆さんと共に」そう言った途端、聖堂内にいた大人、子供、修道女がいっせいにそちらを向いて「また司祭と共に」と応じています。
▼「あー、まだ私は地域の信者に受け入れられていない。しかたない。これから徐々に受け入れてもらえるように努力しよう。それにしてもなぜ、祈りが思い出せないのだ・・・。ミサが思い出せない。うう・・・」ともがいている頃にようやく目が覚めました。
▼よくできたストーリーだったなぁとほとほと感心します。あまりにできすぎているわけでもないし、はじめに受け入れてもらえてないのもありそうな話だし、本当にこれは現実なんだと思ってここから出発しようと覚悟を決めていたところでした。ビックリして目が覚めたのが12時半、ベッドに腹ばいになり、軽く除湿をかけてそろそろ風邪ひきそうな状況になっていました。ただの夢とは思えない脚本、演出でした。

===-===-===-=== † 神に感謝 † ===-===-===-===-===