四旬節第5主日(ヨハネ8:1-11)

今日の福音は、姦通の現場で捕らえられた女性を前にして、律法学者たち・ファリサイ派の人々と、イエスとのあいだで駆け引きが行われます。人々の憎しみの輪の中に投げ出され、恐れおののくこの「罪を犯した女性」の様子を、私たちは十分に想像できます。

この女性は、言い逃れのできない姿でイエスのもとに連れて来られました。女性もそれは覚悟していたでしょう。当時の律法は、姦通の罪を犯した両当事者を石打ちにして、イスラエルの共同体から取り除くように命じていました(申命記22・22)。もう彼女には生き延びる道はないとさえ思えたでしょう。たとえ人々が、掟を文字通りに実行しなかったとしても、すでに姦通の罪で訴えられたこの女性は、「死の淵」で怯えていたのです。

女性が崖っぷちまで追い詰められたその時、イエスの心の思いが明らかにされました。イエスはひとまず、「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」(8・7)と仰って、人々を立ち去らせました。胸に手を当てて正直に考えるなら、誰も、人を罪に定めることはできないのです。もし、それができるとすれば、ただひとり、「罪を犯したことのない」イエスだけが、人を罪に定めることができるのです。

年長者から始まって、一人、また一人と去っていきますが、イエスは最後まで残られました。姦通の罪を犯した女性にとって、最後までイエスがお残りになったそのことだけで、ご自分が罪を犯したことのない方で、人を罪に定めることのできる唯一のお方であることを知らせるに十分でした。

罪を犯した女性は、はじめのうちイエスに何かを期待していたでしょうか?私は、あまり大きな期待は持っていなかったと思います。それは、イエスとこの女性だけが残されたときも、まだ同じ気持ちだったかもしれません。イエスは何も言わないけれども、最後まで残られた。イエスから、自分の犯した罪がどう裁かれるのだろうか。そんな思いで頭はいっぱいだったのではないでしょうか。

エスは、震えおののいている女性に、想像もつかなかった言葉をかけてくださいました。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」(8・11)。

これは、ただ罪をとがめなかったと言うだけでしょうか?そうではないと思います。彼女は罪の重さで、「死の淵」「崖っぷち」に立っていました。それはもう、いったん死を味わったと同じだったかもしれません。イエスはそこから女性を助け上げて、「いのち」へと連れ戻してくださったのではないでしょうか。「あなたを罪に定める」と、もしもひとこと言えば、彼女はもう助からなかった、そんなぎりぎりのところから、イエスは、神の深いゆるしを味わわせて、死からいのちへと移してくださったのです。

この世の中に、罪がなくなるわけではありません。洗礼を受けたキリスト信者が、罪を犯さないなどということでもありません。だから、一人ひとりは罪を憎んで人を憎まず、みながイエスのおかげで死から命に連れ戻していただいたのだとわきまえて、助け合って生きていくべきなのです。

私たちの身の回りには、姦通の罪を犯す人はそういないかもしれません。ですが、私たちはみな、夫に対して、妻に対して、親に対して子に対して、つながっている教会に対して、最終的には神に対して、裏切ったり、取り返しのつかないことをしてしまうことがあり得るのです。たまたま、人目に付かなかったかもしれません。たまたま、つじつまが合ってその場を逃れたかもしれません。そんな綱渡りをしているうちに、私たちは自分のしたことは忘れてしまい、他人の罪を見て裁いてしまうのです。

エスは、「死の淵に立たされた罪人」すら、いのちへと呼び戻してくださいました。それは、私たちにとるべき模範を教えてくださっているのです。人々が神の民に心惹かれるとすれば、イエスの模範を一生懸命生活に当てはめようとするカトリック信者の姿を見るときではないでしょうか。罪人を罪に定める場所は、世の中にいくらでもあります。イエスは、公の罪人を前にしてすら、「わたしもあなたを罪に定めない」と仰ったのです。裁くことで人を選り分ける世の中と違う神の愛に満ちた社会が、教会であるはずです。

最後に、姦通の女性に向けた最後のことばを私たちも持ち帰ることにいたしましょう。「行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」。ゆるされて、いのちに連れ戻していただいたことを、わたしたちも携えて社会に出かけましょう。みなが罪を犯すのですから、人を罪に定めるという罪は犯さないようにしましょう。この一週間、「わたしもあなたを罪に定めない」このみことばを通して、イエスを社会に証しすることにいたしましょう。

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ちょっとひとやすみ
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▼ようやく伊王島にもADSL高速電話回線がやってきた。と言っても長崎市本土ではすでに光回線が利用可能なので、今さらという感じなのだが、これでいくつかの部分でストレスを感じずに済むようになる。
▼一つは、添付ファイルの送信。これまでは3MBほどのファイルを添付して送信するときに、3分かかるか、5分かかるか、そんなことを心配しなければならなかった。これからは10秒もあれば送信できるようになるだろう。
▼二つめは、アップデートファイルの更新。30MBくらいのアップデートファイルを更新する場合は、2時間、場合によっては3時間はパソコンを動かせなかった。他のことに時間を充てればよいのだろうが、なかなかそこまで気の利いた時間管理はできない。せいぜいシャワーに行ってご飯を食べて、忘れるくらいしか対処法がなかった。いまは3分もあれば十分である。
▼三つめは、今まで見ることができなかった映像クリップを、今回初めて開くことができるようになった。それまでは映像を見ようにも、10分の1映像が流れると止まってしまい、また10分の1流れて止まるという調子だった。流れるような映像!車が走っている、バイクが飛んでいる!わけないか。

===-===-===-=== † 神に感謝 † ===-===-===-===-===