年間第24主日(マルコ8:27-35)

「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(8・34)イエスがご自分に従おうとする者に最初に求める姿勢です。ひとまずイエスに従いながら、最終的にこうなれと仰っているのではなく、まず「自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と求めるのです。

なかなか厳しい求めですが、この求めに自分を合わせて再出発してみようと思う人に、わたしは「クルシリオへの参加」をお勧めします。10月5日(金)の晩から、土日と8日(月)体育の日の午後まで、3泊4日の練成会です。場所は田平教会と信徒会館です。最終的に自分を捨て、自分の十字架を背負ってイエスに従おうという人ではなく、まず自分を捨て、自分の十字架を背負って、再出発してみたい人にお勧めします。

再出発を促したい人の例をいくつか挙げます。責任者に選ばれた人。教会の役から一旦離れ、教会との距離感が微妙になっている人。毎日の務めに振り回されて、これまで一度も再出発の機会がなかった人。こういう人たちにクルシリオを通して再出発をしてほしいと願っています。

「興味はあるけど、どんな内容なのかなぁ」と思っている人もいるでしょう。クルシリオにすでに参加された方が何を体験したかの教科書です。結婚する人が、結婚生活の内容をすべて知ってから結婚を決めるわけではありません。何も知らずに結婚生活に飛び込む人すらいます。それは私が言う必要もないことでしょう。ですから内容を細かに知るよりも、「あなたが再出発を一度してみたいと思うなら、クルシリオをお勧めするよ」と言う主任司祭が信用できるなら、申し込んでほしいなぁと思います。

具体的なことは言いませんが、「クルシリオの期間中はきつかった」と言う人がいます。私は大神学院で助祭に叙階された最終学年で参加しましたが、少しもきつくありませんでした。大神学院に8年暮らしている人には、きつくも何ともなかったのです。

そこからすると、クルシリオの4日間とは、「大神学院の4日間」と言っても良いかもしれません。男性女性問わず、大神学院に4日間体験入学する。そう例えても良いかもしれません。なかなか体験できないことですので、どうぞ検討してみてください。

ところで大神学院の生徒たちは、どれくらいの経費がかかっているかご存知でしょうか。長崎大司教区は、昨年度日本カトリック神学院におよそ3千万円の支出をしました。次年度からは九州管区とそれ以外で独自の体制になります。形は従来の福岡の大神学院に戻ります。経費は膨らんで、4千5百万円になりそうです。

仮に3千万円として、長崎教区の大神学生が10人いるとすると、年間1人3百万円になります。参考までにクルシリオの参加費が3万円と記載されていますから、数字的にも大神学院での3泊4日の経費と変わらないことになります。

主任司祭が参加費のことを話したのには訳があります。大神学院と似たような4日間を過ごして、再出発を図りたい人がおられるなら、私は喜んで参加費を受け持ちましょう。クルシリオが田平で開かれると言うのに、田平教会の参加者がいないというのは私も顔向けできません。ですから費用が心配な方は、私が費用を負担しますので、大神学院のような4日間を過ごして、再出発してみてください。

クルシリオに適している人をあえて言うなら、ペトロのような人が適しています。イエスが弟子たちに、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」(8・27)と尋ね、弟子たちは口々に「洗礼者ヨハネだ」「エリヤだ」「預言者の一人だ」と言います。その中でペトロは「あなたは、メシアです」(8・29)と、人と違った答えをするのです。

ちょっと人と違っている。自分をそう思うなら、クルシリオに向いている人かもしれません。言った言葉の重さを後で気づいたり、引き受けた務めの重さを後でひしひしと感じる。最初はあれこれ考えずに入れる人、主任司祭が勧めていることなら参加してみようと考える人は、きっと向いていると思います。

エスはペトロの信仰告白を聞いて、「御自分のことをだれにも話さないようにと弟子たちを戒め」(8・30)ました。大神学院の4日間に似ている生活をした人も同じです。体験した人にしか分からないこと、体験した人たちでしか分かち合えないことが、そこにはあるわけです。

ペトロはじめ使徒たちは、「あなたは、メシアです」と信仰を告白してからが再出発でした。イエスの受難と復活を受け入れなければなりません。自分を捨て、自分の十字架を背負わなければなりません。それは決して楽なものではなく、例えるならペトロが信仰告白をしてからの生活が、「クルシリオ」の4日間の体験と言えると思います。

クルシリオを経験した人はこう言うでしょう。「こんなきつい体験を乗り越えられたのだから、きっと人生をやり遂げられる。」大神学院を過ごした人も同じ思いです。私たちはみなさんが4日で終わったことを8年間積み重ねて今に至っています。

ぜひ10月5日(金)の夜から体育の日の午後まで日程を工面して、大神学院の4日間体験入学のような「クルシリオ」を受けてみてください。きっとあなたのこれからの信仰生活の再出発を図る素晴らしい体験ができると思います。繰り返しますが、参加費用は誰かが私を止めない限り、私が引き受けます。

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ちょっとひとやすみ
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▼あれだけ大きく出たから、参加費1人3万円の工面をしなければなるまい。果たして何人申し込むかだが、5人申し込んだら15万円かぁ。無駄遣いを控えて、と思ったが説教を書いている途中でレンタルDVDを申し込んだので1150円使ってしまった。塵も積もれば山となる。1150円は早まったか。
▼クルシリオに参加した人をいろいろ知っている。クルシリオで最も辛い記憶は、熱意をかき立てられて帰ったが、心を病んでしまった人のことだ。どのように選ばれて参加したのか分からないが、再出発もいいかな、と思うような人を選ぶべきだ。
▼拍子抜けの人もいる。ある意味、日常生活が大神学院の生活のような人には、クルシリオはきつくも何ともないから、変化しづらいのだろう。見た目に何の変化も見られなかった。私の見えないところでは、変化したのかもしれない。そう信じたい。
▼今、漢字変換で「変化したのかもしれない。」に続けて「そうしんじたい。」を変換させたら、「送信自体。」だそうだ。このレベルだと笑うに笑えない。クルシリオが終わるまでお金は節約だが、「そう信じたい」と変換できない理由が分からない。
▼クルシリオの裏方の人たちには心から感謝したい。私がクルシリオに送った1人は、参加したクルシリオの長の人を心から尊敬していた。実際にあらためてその人に会いに行って、お礼を言いに行った。本当に世話になったと、感じられる体験をしたのだ。
▼人と人とのつながりが希薄な時代だ。だからこのクルシリオのような練成会は、貴重な場所になってきた。日本には迷惑と感じるカトリックの活動団体もある。世界的には認められているかもしれないが、こと日本では良い噂を聞かない活動団体もいる。そんな中でクルシリオは特別な光を放っている。
▼修道会の「在世会」もオススメだが、クルシリオは修道会でないところが特別である。さまざまな「社会実験」をすることに私はとやかく言わないが、クルシリオなどはすでに成功しているのだから、私はこの活動を多くの人にお勧めしたい。ちなみに私はクルシリオ福岡第30回大会の参加者である。

† 神に感謝 †